S銀行で表面7.5%築古重量鉄骨のダメ物件を買った大家が、6年間で現金1億を作った方法を公開します。

孫子大家

【不動産投資を始めるまでの経緯】

金持ちになる方法

自己破産?一家心中?

これは本当の話です。
子供のころの私は、
『お前は橋の下で拾われてきた子供だよ』
『うちは離婚しててお金がないから貧乏だ』
と言われ続け、ひとりでブイシネマ竹内力さんの主演する
ミナミの帝王を見続けた結果なぜか私はこう思いこんでしまいました。

『うちは貧乏なんだ、そのうち一家心中するんだ・・・』

実際はそこまで貧乏でもなかったのですが、家族でたまにファミリーレストランなんかに行くときは

『やばい、遂に来た・・・。これが最後の贅沢で、このご飯の後、
車で大阪湾に飛び込むんだ・・・。

『よし、これが最後のご飯だ。思い残すことの内容に、全種類のお肉を食べよう』とトリオステーキという、鳥と牛と豚肉のセットメニューを注文していました(笑)

激貧の大学時代

そんなこんなで、なぜか小学生にして、無駄な死の決意を秘めながらも、自然が残る適度な田舎で成長した私は、勉強はあまりできなかったのですが、1997年1月のナホトカ号原油流出で鳥や魚が原油で痛めつけられる様子に心を痛め、微生物を使って、環境問題を解決したいという思いを持つようになりました。

そうして、一番悪い成績では、英語の期末テストで2点という奇跡のスコアをたたき出しながらも、猛勉強の買いがあって関西ではまぁまぁといえる大学の、微生物学科に進むことができました。
しかし、1人暮らしをすることになった私は、学費の一部も自分で払っていたためお金がありません。
そして入学1ヶ月後の5月には、所詮まぁまぁの大学であったにもかかわらず、自分が学力で全然周りについていけていないことに気がついていました( ;∀;)

毎日夜10時くらいまで勉強してやっと、人並みちょっとしたくらいの成績をとれるようになってはいましたが、ほとんど時間のない中で生活費を稼がなければありません。

そんな私が初めて才能を発揮したのが、家庭教師のアルバイトでした。
あんまり頭がよくなかったがために、勉強方法を工夫する必要があった私の授業は非常にわかりやすいと評判を得られ、なんと私の生徒たちは7人が7人ともみんな国立大学に受かっていったのです。
最終的には時給が7000円となり、苦手な英語を人並みに上げるための留学資金を稼ぐこともできました。
私はここでようやく自分の強みが、教えることや工夫することであることに気が付きました。

 

ブラック企業にてホントに自殺を考える うつ病への道

ここで家庭教師の派遣会社を作るか、就職するかで最後の最後まで悩んでしまった私は、就職活動の時期を逃して、レ〇パレスという会社に就職してしまいます。
この決断は、人生で最悪の決断であり、また最高の決断でもありました。

今は、違うと思いますが、この会社の大阪支店はとにかく、ひどかったです。
・挨拶のように飛び出す、アホバカ死ね
・朝7:30に出勤し遅い時は、深夜3:00まである残業
・自衛隊出身の上司による謎のオフィスでホフク前進の練習
・お昼ご飯を食べる時間が全くない時もある謎の業務スケジュール(何回かは晩御飯も食べられず一日一食の日もありました。)
・ノルマが達成できなかったら丸坊主を要求される絶対服従
・月の休みが1~2回という過密スケジュール

もう完全に精神をやられてしまった私は、たった3カ月で高層階の手すりに手をかけてしまいました。
力を手に入れかけた瞬間に、同僚に声をかけられて我に返った次第です。

流石に退職願いを届けるも、本当に1カ月間まったく起き上がれず、突発性のうつ病のような状態になるも、ストレスを受けた時間が短かったため、何とか回復することができました。

ではなぜ、この会社に務めたことが、人生で最悪の決断であり、また最高の決断でなんでしょうか?

 

社会人としての成功と絶望

1ヶ月の廃人期間を得た私は、ある日系の人材紹介会社に勤めだすわけですが、なんと入社して半年もたたずに80社以上の新規の会社との契約書を結ぶことに成功して100人くらいの先輩を差し引いてトップセールスの仲間入りを果たします。
成功の秘訣はただ一つ、仕事に対する姿勢だと思います。
何せ前職では、人格を含むすべてを否定され、毎日死ねといわれる日々です。
夜12:00までニコニコ仕事に打ち込める私はほかの従業員の1.5倍くらい働く時間があるわけです。
そんなこんなで見事な会社の奴隷となった私は、会社のために命を削って働いていました。
そして、在籍して2年目文字通りNo1の成績を出し1営業として、ほかの社員の3倍近い会4000万円近い純利益をもたらしていました。
そして、会社が優秀な私にくれた特別なインセンティブ

・・・

・・・・・

それが、たった5万円のインセンティブでした

 

会社の奴隷と、不動産投資家としての目覚め

2社目の会社でわずか2年目、地方拠点にもかかわらず全国1位の営業成績を残した私が得た、特別報奨金は驚愕の5万円。
『会社は4000万円の利益を得たのに、私は360万円の年収と5万円の特別報奨金。』
『何かが違う、、、。このままでは、絶対に裕福にはなれない。』
頭の中で、スイッチが切り替わった瞬間でした。

会社員として、会社のために働いていてもこのままでは何も変わらない。
自分は自分のために戦おうと踏ん切りをつけた27歳の孫子大家でした。

 

転職によって300万円の年収アップ

幸いにも、会社での成功によって業界でもある程度名前が知られることになり、いくつかの会社からヘッドハンティングを受けていた私は、ご縁があってある会社に入社することになります。
300万円以上の年収アップに成功し年収を約2倍にすることができた私は、不動産投資をするために、忙しいながらも100冊以上の本を読みます。

100冊の不動産の本を読む投資家はそんなに多くはありません。
営業にも自信がある私は、客付けだってできるはずだ、知識を営業力と若さがあれば絶対に成功できる!

知識はあれど、メンターを持つことができなかった。
そんな自信過剰で世間知らず、とても努力家の若者がみごと地獄に落ちていきます(涙)

・実録:【孫子大家の大逆転  ~戦略的思考がもたらす大失敗からの復活実話~】

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